起きて準備をする。いつもみたいに。
ふと思った。いつもとはなんだろうか。
いつも、いつも、いつも…。良い意味で僕には「いつも」は、あってないと思っている。
それは、側から見たら代わり映えのしない1日。でも、なぜか僕には違って見えるのだ。
管理栄養士になって、大学院を中退、オーガニックカフェ定員、シェアカフェの店長、カフェ経営者、そして農家になった。
毎日が似ていても全然違くてその場所場所で頑張ってふわっとしたら移動してて。
そして、いつの間にか、この家に戻ってきていた。
既視感とともに、不思議な感じ。たくさんの場所に行き、人やものにふれ、肌で感じてきた。
ここまで来るのに場所ごとに2〜5年は腰を据えて、居場所を作っては、引っ越しをした。
大切なことはできるだけ早く学び、感じ、習得する。少しできないことはその場所においてきた。
昨日より今日、今日より明日良い日に。という気持ちもありつつ、グダグダするお休みと自分で決めた日。
これがまたいいのだ、少しだけ目線を広く見る事ができるから。
少しだけ、成長しない罪悪感、何もしなくていいと決めたくすぐったさ。すぐ外に出る癖はどこでついてたか忘れてしまったけど、それも悪くない。
ゆっくりゆっくり、いつもの何かに合わせるスピード感から、自分の鼓動や草木のささやきに合わせるスピード感に。
いつもの風景が、ほんのり丸くなった気がして…、なんだから微笑ましくなる。
ほらきっと、僕もほほが緩んで口角がちょっと上がった。
雑多に投げた上着、積むのを整えてある雑誌たち、すぐ出かけらる様スタートダッシュ待ちのカバン、洗われるの待っているマグカップたち。
ちょっと耳をすませば、人の話しながら歩いてくる声と足音。
その中でもそれ以外でも気になった時だけ、目が止まったところ、耳が傾いた方に、意識が向かって注目させる。
それをどうするかはその時考えるんだ。それを考えるのが一番楽しいから。
微笑んだって、驚いたって、ワクワクしたって、何したっていい。
せっかくだから、ふわふな気持ちで考えるといい。気持ちも丸くなるから。
きっと写真とかで証拠を撮ってしまったら何も変化がない空間かもしれい、それでも自分が見える感じる空間は、毎日変わり、楽しませてくれる。
気づけるかどうかは、少しの一呼吸タイムを…。
僕は僕たちが選んだコたちで幸せに包まれている。そうやって穏やかに一緒に連れ添い合っていきたい。