Bunkanを通して、自分の中に積み重なったものの1つ。
食事とは、実のところ食べ物よりも、誰と、どんな場所で、どんな気持ちで食べるか、
というのが大切だと思ってる。
もちろん、それなりのおいしさも必要です。
1番ありがたい事に食事の自信は、みんながつけてくれた。
言い方はどうかと思うけど、今となってはある程度自信を持って食事を出せている。
先日、いつもの農家さんとしてじゃなくて、お弁当BOXを作るフード担当として、イベント出店を頼まれた。とても嬉しい誘いだったけど、久しぶりだし、とてもドキドキした。
ありがたいことにお手伝いしてくれたパートナーのおかげもあってか、よりイメージに
近いBOXを作ることができた。味もご好評いただけて本当にありがたかった。
公表できるくらい、良いものを出せるようになったのもあの日々を乗り越えられたから。
けど、Bunkanマスターに就任した1年目は、特にダメダメだったと思う。
いやはや、本当に当時の人たちには頭が上がらない。
感謝しかないです。
たくさんダメ出しされたのも懐かしい思い出。
1年目の当時は、以前の職場であったオーガニックカフェの働き方の名残があって、
できるだけ良い食材を多くない量をランチ&ディナーで出して、食後も考えて
メニュー入りしたコーヒーを出すのもドキドキだった。(まだまだ技術は未熟だった)
これが逆に良くなかった。
本当に。自分の良いと思うことの押し売り、押しつけだった。
ついお客さんにサービス&試食というの名の実験でピンチョスだったり、スイーツを出していたりしていた。
食事自体も自分のやりたいことが先行していて、ここで何が食べたいとか、
仕入れも準備もブレブレだった記憶がある。今見るのも恥ずかしいぐらいの、モノさえ出していた気がする。
当時から、むしろ当時の方がご飯を食べに来てくれる人、ただただゆっくりしたい人、友人たちとおしゃべりしたい人など様々な理由で、bunkanに入ってきてくれた。
のにもかかわらず、自分は関わりがほしい、チャンスと見て新作批評をしてもらったり、
情報収集で執拗に声かけたり、様々な客さんに対して妨害をしていたと思う
(当時は来店客も多くなかったから話せる人であったら尚更)
みんなの使い方に配慮できるようになったもの、いつからかな。
食事はきっかけだけど、食事を取り巻く雰囲気、食事が来るまで&食事後の時間、
食事自体によるあのワクワク?あったかい気持ち、そこから広がる大切な時間、
色々なことが起きてる。
だからこそマスターの自分は、その使い方に寄り添って合いの手を入れたり、
放って置いたり、静かにしたり、はしゃいだり、と神経を尖らせてきた。
年々できるようになっていた自負もある。
そこには必ず食べ物があった。
忘れがちだけど、影の立役者がいることを忘れちゃいけない。
あの幸せな空間は、食事が立役者で、黒子さんで、必ず必要なものだった。
そう考えられた今、感謝しかなく、作り続けられたことに感謝しています。
良いもの作れるようになって、嬉しいなぁ。
また機会あったら。
それもまた。